シャーリー テンプル 人物

シャーリー テンプル 一言で言えば、「えらいバア様」です。
1928年産まれだから、バア様と書いても失礼ではないだろう。俺は、口は悪いが、シャーリー テンプルにには、人間として、素直に敬意を払いたい。今日現在、ご存命です。

正しくは、シャーリー・テンプル・ブラック大使というらしい。Ambassador Shirley Temple Black。子役の女優としてだけではなく、外交官としての業績もすばらしく、生涯、大使を名乗る資格を持っている。これって、とんでもないことだ。

シャーリー テンプルは、アメリカで立法においても、すごいことをやってのけた。子供を守るために、労働基準法にシャーリー テンプル修正事項というのも、成立させた。16歳以下の児童ポルノへの制限を実現させたのだ。
書いてしまえば、簡単なことだが、実は、当時の状況からすると、とんでもない話らしい。

シャーリー テンプルの反児童ポルノについての活動は、批判も多かったし、いわれなき攻撃も受けた。
後にロリコンであることが発覚したグレアム グリーンなど、民事訴訟に至った例もある。
ようするに無茶苦茶いわれ続け、それでも、退くことがなかった、シャーリー テンプルは。

シャーリー テンプルは、子役女優として、大衆文化への貢献が大きいし、記憶に残っている人も多いのだろう。
が、ごめんなさい、俺にとっては、そんなシャーリー テンプルは、どうでもいい。
シャーリー テンプルは、子供の頃の女優として、ちょっと異常ともいえる賞賛の世界にいた。
が、そこから離れ、その後、堅実な人生を歩み、そこでも、実に立派に功績を残しているのだ。
日本の子役が、後がパットしないのが多いのと大きな違いだ。

子供服のシャーリー・テンプルが、女優のシャーリー・テンプルイメージしたのか、子供たちのために戦い功績を残した政治家としてのシャーリー・テンプルをイメージしたのか。
それについては、調べきれてないが、いずれにしろ、シャーリー・テンプルという人物は、偉大な人だと思うのだ。

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